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読み込みチャイムが鳴るまで 5秒ほどお待ちください。 アメリカ国務省2004年報告「人身売買で悪質な国日本」 アメリカ国務省2008年報告クリックしてご覧ください。(H21.6.5) |
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「解雇・派遣労働者・パート労働 者」が社会全般に劇的に波及し ている。「しんぶん赤旗」に見え る
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| 出版と学習支援の研究所 | ||
著作権 西尾文化研究所1997設立Ò![]() ![]() ![]() ![]() ![]() --平成21年。 | ![]() (1 Jan,2009) | |
| @自己紹介 | 卒論を控えた大学生の皆さんから多くアクセス頂いています。ありがとうございます。 | ●西尾文化研究所スタートページへ |
ほとんどの現実は、私たちを避けてサーッと通り過ぎてゆく。だから、私たちは目前のことに没頭できる。幸せにも、脇をかすめていった現実を、振りかえって見直すとき、自分との距離がどれほどだったのか。それを測れる地図づくりでこの記録がはじまった。これは世界の断片のコレクションといえる。若い人々にとっては、将来出会うだろう現実のバランスよい見本となるように心がけて放送する。どのような職業に就こうともあなたが身につけるものが「服よりも福」であるような人生の優秀なデザイナーになるのを助けます。
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平和国際都市文字放送 内容が膨大で全文を 掲載できませんので↓ |
チャンネルS |
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[11]あなたの「宇宙」は、あなたの「体のかたち」をしている。
[15]アイデンティティとは、カウンターカルチャーに於ける@内側の「同一性」A外側との
[19]時間とは、「感情の変位量を供給する」エネルギーのことである。
[21]完全固有世界と集団固有世界には、「橋」が懸かっている。
[23]「感じるとは、0.8秒後を考えることである」。
[24]「考えるとは、脳(思考)が見落としたかも知れない可能性への対策である」。
[26]眼の前の「冒険」とは、「人として生きる」ことなのだ。「人
[27]として生きる」とは、「道徳的」に生きるということであり。それは、人類の「正の遺産」
[31]徳とは体験を改善へと役立てる生き方のことであり,真実や知識から独立した相並ぶ存在
[35]遠い過去は、未来のようにやってくる。(遠い過去を想う時、人はそれを未来に向かっ
[38]アイデンティティとは、一つの「カウンターカルチャー」であり、「歴史的異和」の事
[40]「異質」は、個人の内部で「異和」という形で内部に取り込まれる。
[42]感情とは、「カウンターカルチャーの混合」である。
[43]「安堵(真理)」とは、「カウンターカルチャーの和合」である。
[45]「生とは」、「人生とは」、「心とは」。
[46]「生」は、神から離れ、再び、戻るまでの、冒険の旅である。「人
[47]生」は、自分の周りに巡り来る物事の去来の軌跡である。「心」
[48]は、自らが人生の物事と契る留離(るり)の混合である。
[53]日増しに物事が落ち着いて来るはずなのに。現実は、いっこうに簡単にならない。人間世
[54]界の物事のルールは無さそうだ。時間にまとわりついて訪れる「場」に全てがかかってい
[55]る。つぎつぎと「生まれたり、消えたり」する場は、主体からみれば同時に「生んだり、
[56]消したり」する意思の対象でもある。この生成感/消失感をともなう「去来」は人生であ
[57]り、この獲得/放棄を行使する「留離(選択)」が心である。人は、これから何万年も落
[60]個体は、「全く新しい混成」という「斬新さ」を備えた有機体である。そこに内在して
[61]いる可能性は、「刺激」と「反応」によって引き出される。
[63]DNAは、自然界の産物である。神さまが、自然界をつくったとすれば、若いという事
[64]は、神の近くということであり、老いるという事は、神に近づくという事だ。
[66]幸せは出会った人の数に比例する。
[73]「となりのテレビ局」。(「知らされないものは、存在しないに等しい」)。(テレビで見る
[80]心の希求する本質は、「此処で癒される」こと。
[97](活字を読む人のための)(「幸せは、出会った人の数に比例する」)。cf.ドビュッシー曲
[107]口にして、どんな意味をもつというのだ。ヴァイオリンの響きが、「私はヴァイオリンの
[108]音だ」と云うだろうか。それでも人間は充実できる筈だ。(信じる力さえあれば、、)
[109]どんな夢も叶うが。全てを叶える夢は、叶わない。
[111]知られないものは、存在しないに等しい。(という不平等がある。)。情報社会の今日で
[112]は、「知ら(さ)れない」ことは「存在しない」(こと)に等しい。(メディア/認知認識)。
[116]心の平静を産んできた歴史に立脚した伝統的生活を基盤にしつつ、新時代に普及しはじめ
[120]ウンベルト・エーコ(「文学とは、人生に愉楽をつくりだすもの。」)
[126]京都産業大学講師田原文夫(「米『ビジネスウィーク』誌には「インフォメーションプロセシング」というコラ
[140]文化とは、「言行一致」のことである。
[141]個性とは、能力の特殊性である。
[144]信じることが出来るなら、多くの恋は愛になる。
[145]私は毎朝、目覚めた私の人生に向かって笑顔して挨拶する。
[147]私たちは、選択する。そこから伸長し始める線分が運命である。先で更に選択する。線分
[151]時間とは、「感情の変位量を供給する」エネルギーのことである。
[152]「理解」とは、知覚技術の「習得」であり。「創造」とは、知覚技術の「応用」である。
[154]一つの「価値体系」とは、一つの「文化の入れ子構造」のことである。
[155]知の体系とは、「複数の」価値体系を「一つの」入れ子構造にしたものである。
[156]異なる文化を関係づけ「接合」してゆくのは愛である。愛とは、「エネルギーと信頼」
[159]主体は、「自身を知るために」真理(安堵)を求めて、「異質(異和)との境界」を徘徊
[162]主体性とは、「方向性」を持った「言行(ふるまい)」である。(意思・意見)。
[163]方向性は、スピードによって保持されている。
[165]感動は、観念ではない。理解とか解決という「事柄/問題」領域をはみ出ている。既存の
[168]知覚とは、「ことばを持たない記憶」である。
[170]感情は、五感の内部情報であり、主体はそれを塗り替えることが出来る。
[171]主体とは、「主体性」に「自主性」が備わったものである。自主性とは、(留離の)「選
[181]人は何故、知らない事を知りたがるのか。自分自身を知りたいから。人は何故、知らない
[182]事に出会いたがるのか。異和との境界を徘徊しているから。通常どの時代にも、人は、「真
[183]の知」(から直接)によってではなく、同世代から数世代前までの時代(文化)の、例え
[184]話(寓話)によって初めて自分自身を客観視出来て目覚める。「目覚める」とは、自覚す
[185]ることである。一方、「発見とは、他覚(物性について自覚)する事である」。cf.近接未
[188]「遭遇」とは、「無意味」アイテムが「有意味」アイテム化する瞬間(事)である。(cf.
[200]である。失う事が無常ではなく。無常とは、常と呼べるものがあれば、それは不変
[201]の常ではない、という事(一つの真理)を知ってしまうこと。100万の疑問、1
[204]真知を得ると、あとに残るは、「如何に生きるべきか。」という事になる。
[205]肉体が「無常観」を得たとすると。精神は、処世で「安堵」を、理念で「使命」を
[206]得て活性化するのである。(理念とは、「最高で唯一の結論」の事である。)
[209]境ラインが凍結し、それ以後は自壊による領土の収縮を予防するための結束のイデオロギ
[210]ーが各地で発明された。緊張は和らぎ居心地のよい体制下で平和な繁栄が続いた。
[212]に関与する積極的「代理−−」時代に入った。先進国家では、民間でも管理が商業化され、
[213]世代が入れ替わるにつれて、新世代は、社会の制度的保育器の中で育つようになった。 一
[214]方、矛盾が表面化したイデオロギーの地域では、分裂や民族紛争によって領土争いが再燃
[218]抽象化とは、「モノ」がもっている先天的主導権を人間に取り戻すことである。
[220]ことば・色・形・価値などは、「意味」とか「シンボル」とかの抽象化された後の部品
[221]なのだ。全ての、ことば・色・形・価値などの抽象概念を使って表された知識は、人が自
[222]立するまでの杖に過ぎない。「知識」とは、あくまでも個人をより明解にに導いてくれる
[225]モノは物理的時間(砂時計/水時計/日時計)を持っているし。人間は感情的時間(体験
[227]中で植物の生育は、どのように育つか。
[229]感情とは「カウンターカルチャーの混合(Mixture)」のことである。(和合&拒否)
[230]真理(安堵)とは、「カウンターカルチャーの和合(Familiar)」のことである。cf.家
[233]知恵は、全ての物事が如何に「好意的に身近に」存在(ある)か、を発明する。
[234]知恵は、全ての物事を「友」に変える。
[239]「語」とは、ある複数のカウンタカルチャーの凝縮を表す代表語のことである。
[240]「語」の真の意義は、器(普及)の大きさではなく盛られた食材の多彩な栄養にある。
[245]浄土真宗「教行信証」翻訳の鈴木大拙の云う「死とは、”Good by John”。(バ
[248]何もしてあげられない対象を、「友人」と呼んではいけない。
[321]人類が生み出した4大基本概念(神とは/生とは/人生とは/心とは)
[323]「創」っている限り、「無」くならない。無くならないとは、「目標」を失わないという事
[324]である。(cf.「空」とは異なり、心理の直進性においては無も目標なのである)。
[340]「ランドサーフィン・西尾」(車・主要道路(社会)ではなく、歩行(社会)・公共バス
[347]口にして、どんな意義があるというのか。ヴァイオリンの響きが「私は、ヴァイオリンの
[348]音だ。」と、云うだろうか。どんな夢も叶うが、全てを叶える夢は、叶わない。それでも、
[349]人間は充実できる筈だ。
[352]SCISSOR AND PASTE(のりとはさみ)(切抜きで編集すること)。
[383]細く永く生きるには、強くならなければならない。しかも、柔軟でなければならない。
[387]インフラは、「地図」に集約する。
[399]時刻は、「時の線分」であり。人生という連続線である。
[410]劣勢でなく優越でもないもの、超越とは、真実のアーカイブである。体制(宗教・政治・
[411]共済)とは、制約される(原罪・負担・従属)契約の履行である。
[414]り前進的な創造をするためにテーマ(主題)に「必須なもの」とは、「実在しないもの」
[415]でなければならない。(動作と行動は手段にすぎない。)
[416]事実は、現実の保証人である。真実とは、自分がありのまま感じる世界である。
[421]少年は時空を超え、遥か彼方の国へと旅立った。「長くつ下のピッピ」のベストセラー作
[429]社会生活の事例(凡例)集は、店頭で発売されるか。
[432]って、宗教は麻薬である。いま宗教は、ビタミンである。
[434](アリストテレス言)「人間は、言葉(ロゴス)をもつ動物である」。
[435]ことばは、丸暗記するための道具ではない。
[436]私たちは、選択する。そこから伸長し始める線分が運命である。そのように線分上で選択
[443]の本質は、「純粋持続」と呼ぶ時間性の中にあると見る。純粋持続とは、質的多様性がダ
[445]よってそれを記述することはできない。いっさいの空間化を排する直感のみが、持続の創
[446]造性をとらえることができるのである。物質とはイマージュの総体にほかならない。しか
[447]も、イマージュとは事物についての表象ではなく事物と表象の中間にあるような存在なの
[448]である。』(こうして、ベルグソン哲学は、現代哲学の言語主義的傾向と真っ向から対立す
[451]ように、言語とイメージとは決して相互排除的なものではない。活字メディアと映像メデ
[452]ィアが相乗効果を発揮ししうるように、両者はむしろ人間の認識を形作る相補的な器官と
[455]充実した人生は、「間違いのない計画」と「完全な実行」にある。と、信じてしまう時
[457]安息は、「努力」の報酬である。
[458]精神も理論も鋳物のように、堅くてもろい。真に強いのは、感性である。外界に素直に反
[462]宇宙誕生の通説(150億年前)は、87誤差+-7億年前に修正か?
[475]と実感する(居場所の生成)。その瞬間、人は幸福である。
[477]新しいものに出合ったら、感性は「新しい感情」を用意する。(なのに)脳は、古いメ
[478]モの隙間に書き込もうとする。(新しい感情は)真っ白なメモ用紙に記録すべきだ。
[480]単一のメディアは、単一としての固有のデザインを発見しなければならない。
[482]一つの「様式」の普及は、一つの「固有の知覚技術」の普及を意味する。同時に知覚技術
[485]どうのような調合であっても、現実と期待と記憶のカクテルは、時間を起動してくれる。
[493]政治とスポーツは、取り返しがつかない。
[496]自慢の種にしない」。自慢とは、そういうもの。だから他人にとっては無価値なのだ。
[497]不器用というのは、存在しない。それを云うなら「未器用」なのだ。 cf.東洋医学の
[499]考えは、「既存の概念」内の関係性の上に形成されている。(概念内に)存在していない
[500]ものは考慮されない。従って、考えは、その個体のしかも一瞬の反映である。つぎの瞬間、
[503]男は「統一美」(心理的ディテール)を求め、女は「様式美」(視覚的ディテール)を求め
[506]孤独の感じ方(処し方)とは、「人間以外について考える」知覚技術である。
[508]知識の自然の集積の結果は、当然のように摺り鉢の底に向かってゆく。そこにあるのは、
[509]決してピラミッドの頂上に辿り着くような無理な結論ではない。
[511]「○○ありますか」「○○どうですか」。でも、人は自分自身について尋ねられたいのだ。
[514]ひとは、自分が整理できる以上には知識を役立てられない。「感心」するだけだ。
[522]言い出そうとしている事は変えることができる。しかし、言い始めたことは止められない。
[523]言い出した時には、もう既に半歩踏み出しているからである。
[526]場を居辛くさせるのは、「その場」の者である。
[528]個の飛躍である(自己の)「主体の(核の)察知(意識)」は、「得意」となって現れる。
[530]本当に自分を自由にしてくれるのは、どちらかというと、どこかパッとしない、どうでも
[532]それは、誰のための言葉なのか。
[536]生活規範の内容で、「禁則条項」が半分を越えてはいけない。
[537]社会化傾向。個人が自由にやれることは、自分のことだけ。
[539](日野啓三(作家)言)「、、、。今夜も月が出ているかどうかを一瞬本気で探そう。心は
[558]るが、スタンスは自己の価値体系で対応する。)
[560]「個」とは、「場への反応」の事である。「(個の)核」とは、場の変化に対応して個も変
[562]事である。然るに「個体」とは、(自己の識別を含んだ)継続した反応の総体」である。
[564]<真理へのアプローチは、2通りである。>
[566]は分からない」。検証するためには事前に、個についての発見か発明が要件である。
[567]満たしたい自分に必要な要素を「発見」するか。/もしくは、自分のありたい「有り様の
[571]知覚技術において心理的にみれば、「個(核)」とは「場への反応」である。場が変化し、
[573]る自己(の存在)が核である。「個」とは「核という自己を内包した」、「その場(という
[575]反応を(個体の)ひとつの必要素という。満たしたい自分に必要な要素(必要素)とは、
[576]新しい場を伴った新しい反応の事である。(→「個体」とは「(反応の)総体」である。/
[580]伝えようとする側は内容と感情の合体を発するが、受け手の内部は2重のプロセス(@A)
[581]という障害に戸惑いながら懸命に処理する。すなわち@受け手は、それを考える対象とし
[582]てしか察知できない。(同時に脳と感情を動員できない)。A受け手は、一気にして感得で
[585]が処理されている。)(cf.理性は、理念から発せられる。)
[587]「何が起きているか」の問題は、「どこで起きているか」の問題である。現実(処世)世
[588]界の「何が」は、理念世界の「どこで」である。
[591]れる。(これらの継続的「反応」が個(性)の実態である)。欲求は、「ありたい有り様」
[592]のイメージ(概念)として現れる。その焦点は、「(満たしたい)自分に必要(不足してい
[594]じつま)」が合っているか、、検証できる。「(必)要素」は、「場と核」から成っている。
[596]真理とは安堵である。満足/納得。無言とは言葉になるまでの言葉の数である。紛れる/
[598]結局、定義は「異質」な「相対」するもので成された場合、最も説得力を持つのである。
[600]今年あなたを強くするアマナック(年鑑)→逆・新ことわざ/定義(cf.かつて宗教は
[601]麻薬であった。いま宗教はビタミンである)。
[603]充実した人生は、「間違いのない計画」と「完全な実行」にあると信じてしまう時期が
[605]安息は、努力の報酬である。
[606]精神も理論も、(互いから観れば、)「鋳物のように堅くてもろい」。真に強いのは感性で
[608]に感性は失われ易い。
[612]宇宙誕生の通説(150億年前)は、→87+−7億年前に修正か?。
[615]分が)必要だと呼びかけられている実感がする。その瞬間、人は幸福である。
[617]新しいものに出合ったら、感性は新しい感情を用意する。(なのに)脳は、古いメモの
[618]隙間に書き込もうとする。(新しい感情は)真っ白なメモ用紙に記録すべきだ。
[620]矢の飛んでゆく先に的を準備して打つ如く。自慢とは、そういうもの。「他人(ひと)よ
[623]「不器用」というのは存在しない。それを云うなら「未器用」なのだ。cf.東洋医学の「未
[629]感動は観念ではない。理解とか解決という「事柄/問題」領域をはみ出している。既存の
[631]異質な領域は、複眼構造をしている。
[633]人生は、生涯の伴侶であり。幸せは、その子宝であり。笑顔は、無二の親友である。
[637]「場」を居辛くさせるのは「(その場の)者」である。
[639]個の飛躍としての「主体の核の察知=自意識」は、「得意」となって現れる。青春期の
[642]本当に自分を自由にさせてくれるのは、どちらかというと、どこかパッとしないどうでも
[645]その「ことば」は、誰に言い聞かせているのか。相手か、自分にか。それは「誰のための」
[649]はまった/限られた/一方的な、情報)。
[652]組(タモリの音楽は世界だ)/山形由美(妖精たちの朝)。
[654]生活規律の中で「禁則条項」が半分を越えてはいけない。
[656]日野啓三(作家)「、、、今夜も月が出ているかどうかを一瞬本気で探そう。心は永遠に
[663]匹敵/エミュレーション系(シミュレートして理解するがスタンスは自己の価値体系で対
[680]ー・アンペール)→後継者N.ウィナーは「サイバネティクス−−動物と機械における制
[683]これは、他人(はた)迷惑かもしれないと思ったら、(相手に)配慮しなさい。事実その
[684]通りの場合が多い。なぜなら、人間は「自分勝手の最後に他人を気遣う」からだ。
[686]霧氷/樹氷に似て、付着には「核」となるものが不可欠だ。
[688]感情は(知覚)技術の結果であり。(創作)技術は感情の表出である。
[690]「何故」は本来、自分に向けて使う言葉である。(なぜなら)それに納得する答は、自分
[693]マルサス「人口は幾何級数的に増加し、食糧は算術級数的に増加する」。98億人(国
[695]この人口に見合う食糧を供給するには75%の増産が必要という。
[697]「感心」される言葉と、「感動」を与える言葉とは、必ずしも一致しない。「感心」とは行
[698]動または論理の対象の正当性の承認の証であるがまだ受けて本人の価値に符号してない段
[699]階の感応現象である。一方、「感動」とは対象が受けて本人の価値体系に符合ししかも新
[702]「昔と同じ」だ。言葉を替えただけだ、と過去を知る者は云う。しかし、言葉の違いは決
[711]雑誌記事(バーチャルなメディアの役割は、@現実の世界をメディアによってバーチャル
[712]に拡張する機能と、Aメディアの中に現実に模した世界または現実ではできないバーチャ
[716]ヨード卵「光」=ヨウ素(普段の食事では摂りにくい。日常は「塩」に混入させてある。
[724]鍬を持ち余力のある者には「安住の暇」は無い。不足する者のために「大地を耕す」のだ。
[730]「分別」(内部倫理的)とは、記憶に@「分からないままのもの」としての記憶、とA「自
[735]い、グリコーゲンあるいはブドウ糖を酸素なしで(嫌気的)乳酸に分解する過程。広義に
[736]は、同じ経路を通って最終的にアルコールに分解するアルコール発酵の過程も含める。1
[739]系は、酸素が存在する呼吸(酸素呼吸)の場合にもつかわれ、呼吸ではこの経路でブドウ
[741]される。解糖系に関係する酵素は、細胞質の基質に含まれている。
[743]クエン酸回路(またはTCA回路=トリカルボン酸回路。または発見者の名前をとって
[746]られている。細胞呼吸では、ブドウ糖が解糖系でピルビン酸に分解され、ピルビン酸が二
[748]ル助酵素Aはオキザロ酢酸と合体してクエン酸となり、クエン酸がこの回路を回り、脱炭
[750]チル助酵素Aが分解される。この回路で直接ATPが生産されるのではなく、そこで生じ
[752]回路に関与する酵素は、ミトコンドリアに含まれているので、回路での分解作用はミトコ
[760]という。細胞内では3番目のリン酸結合が切れて、ATPがADP(アデノシン二リン酸)
[766]回路で生じた水素は助酵素(NADなど)と結合し、この系に伝達される。そのとき、水
[768]の系は、1個のフラビン酵素、助酵素Q、5種のシトクロムよりなり、それらを電子が通
[771]はミトコンドリアの内膜や葉緑体内の膜系にある。
[779]なり、ミッチェルは1978年度のノーベル化学賞を受賞した。
[797]人は、ふたつとして同じものをつくることは出来ない。
[799]コンペティタ(競争者)と競うのは結果であって本質は「支持者を獲得する」事である。
[811]で夜間分泌されるホルモン。4、50才で青年期の半分に減少。)(アメリカでは市中ドラ
[813]健康食品としての効能は疑問(藤田学園学会)。
[815]異質との境界(神秘/欲望/能力/自由/驚異/処理/依存)cf.おはよう地上/安堵。
[820]おばあちゃんの庭「冬は小鳥たちが餌が不足しがちだ。虫や木ノ実が少ないからね」(T
[826]貢献とは、「当事者」として尽くすことである。
[837]結局、「返答」とは「答探し」ではなく「答選び」なのだ。(返答を考えようとする時、立
[838]場は一つで答は一つだ。と急ぎがちだ。しかし答は一つではない。どの返答にどんな結果
[842]ら)熱いのを暑い、冷たいのを寒いと素直に云うのが何故悪い?いいではないか。cf.寒
[844]日向は暑い所であるし、日陰は寒い所なのである。それを理解しなさい。cf.事実を否定
[845]しがたい時は真理を学べ。自分を他と共に理解せよ。女子と小人は養いがたしと肯定。
[853]外は事件だと考えればずれる筈)。
[855]二元論は、2点間の線分を模索(模写/浮上)させようとする試みである。
[858]一般的に母親が教えることが出来るのは、「一生懸命育てた」ということだ。
[865]いそうな環境とは、管理(監視)されているという被害妄想/自立に行き詰まった等とい
[878]人間の組合せは、「補い合う」組合せなら理想だし。「競い合う」組合せなら組む必要ない
[881]現象は一瞬の出来事だが、結果には長い間の多くの原因が詰まっている。
[894]そうでない生命)。2.補い合う段階(酸性生命はミトコンドリア(酸性)に集結。と、
[895]そうでない生命は(非酸性の)核の内に集結)。3.共有の段階(ミトコンドリアと核は
[898]「競い合う」のではなく「補い合う」関係を持った組合せ(交信)を「チャンネル」と
[901]増設メモリー(Macは168ピンDIMM形式。DOS/Vなら72ピンSIMM形式)。
[909]人口密度が高い地域では、人間は「(自分)自身」に出合う前に、「他(人)」と出合っ
[915]一人三様(@この人は、どんな人たちを代表してるのか。Aこの人は、どんな人に代表
[916]されてるのか。Bこの人は、この人を代表してるか)。
[918]「生き急ぐ」とは、「死に急ぐ」ということであり。「生きる」とは、「(生き)味わう」と
[921]境界面のフレームワーク化(キルティング化)。境界面は、固定スタンスからの視点であ
[922]り、背面は明示されない仮想現実(仮想現実視)。現実世界は、背後に回って背面も存在
[925]中山公男(近・現代文明への明確な批判「要は速さではない、遅さだ」。映画「ジェリコ
[933]他と協調してキッチリと自分の道を行くことは、大切だと思う。独自のOSを持って。
[934]他人がこちらを飽きるのは仕方がないとしても、自分が自身に飽きたくはない。
[936]ひとは、自分だけの「特別」なことが起きるのを期待している。一方で、他人と「同じ」
[938]自然世界の物事は、「人」を介して顕在化する。
[947]軽油は凍結し易い。冬のゲレンデ/ディーゼルエンジン車。
[949]都会が持っていただろう哀愁も充実感も味わうことなく、地方は永遠に都会を夢みた地
[950]方で終ってしまうのだろうか。都会になれないことは惜しくないが、あの「哀愁」と「充
[951]実」は人間のどこかに必要だと思う。
[954]ックス、伝統的なファッションをいうが、現在では、保守的な考え方や生活習慣を守る人
[961]はダメ。自分をしっかりさせてくれない仕事もだめだ。
[963]表層技術とは、「感じる」技術である。
[969]トルストイ30代半ばの日記より。「私は一人だ。私がマモンに仕えていた時は、親友が
[970]あった。ところが私が真実に仕へる時、それがないのだ。」(マモンは富の神。金銭財貨の
[971]ために書いていた時には友がいたが真実のための書くようになったら居なくなった。)
[974]価値とは、意識内での「重み付け」のことである。(主体性がある限り全く同じ価値観
[975]はあり得ず、2人以上の人間が完全に理解し合うことはない。(殆ど)同一の価値観を持
[979]人生は、「自己責任」が原則である。
[983](内的存在)(同じ行動をとっても動機は様々)。
[987]自身を知りたければ、やはり私たちは「自然」に対して尋ねるべきだろう。自身の姿を
[988]知らない者には他人が造った鏡を見て正像か否かを判断できない。水面の映す像には偽り
[989]はない。
[990]男は(自分の好いてる)女を、女は(自分の好いてる)男を、「他の誰か」と思ってい
[999]1ドル札の裏表と同様(「人間とは何か」「自分とは何か」)。
[1001]コミュニケーションに関するメディアのサービスは、全て「提案」であるべき。決して影
[1002]響を与えようとしたり誘導してはならない。
[1004]本質的に、「言葉」は発した者の「勝ち」であり、その究極は「質問」である。同様に「道」
[1005]は拓いた者の「勝ち」であり、その究極は「地図に描く」である。質問も道も行先の価値
[1011]疲れている時は日常「でない」事が「苦痛」になるし、元気な時は日常「でない」事が「楽
[1014]何一つ結論を持たない者は、自分という意識を持ち得ない。
[1018]「わかり合っていない」という事実の前では、「寛大」は最大になる。
[1022]未来に関する合意は、「事物(とその機能)」によって提案される方が成立し易い(。事物
[1024]る合意は、「考え方」によって提案される方が成立し易い(。事物は既得権益が明白すぎ
[1025]て対立的になり易い。一方、考え方は個々の今の矛盾を一つに吸収させることが出来る。
[1034]感動は、あまりにも深く/充実した出来事なので、伝達は不可能だし、感動を伝えたいと
[1037](過食症/拒食症など)「摂食障害」は、(対人対物/対環境など)「接触障害」に関連し
[1047]ウインドウズ95発売直後の現象(電話問い合わせ。立ち上がってますか/はい、立って
[1048]ます/窓は開いてますか/いえまだ閉めてあります/花瓶をよけないと/走ってますか/
[1051]どのチョコレートからも一枚一枚に「自由」を味わいました。「生」とは、神から離れ、
[1052]再び戻るまでの冒険の旅で、今日はその一日。「人生」とは、自分の周りに巡りくる物事
[1053]の去来の軌跡であり、「こころ」とは、それらと契る留離の混合です。プレゼントされた
[1054]のはチョコレートという自由な「時間」だったかもしれ知れません。たまたまやって来た
[1056]わないでいられるのは私がアナタから吸収している「若さ」のおかげです。かさねがさね
[1059]人生は、先に教えてあげられないのだね。誰もが、自分については自分が一番解ってい
[1062]「眼」は見るのではない、「感じる」べきなのだ。なぜなら、視野は「(見られるべき)
[1071]覚は「肉体」の五感であり(外的刺激の受容)。感性は「主体の」感応である(内的刺激
[1072]の受容)。感情とは方向性をもった(五感の)内部情報であり、(主体(感性)は)それを
[1080]ビデオ「喜びも悲しみも幾年月」(佐田啓二/高峰秀子)のロケに使われた燈台は平成8
[1083]「脳の10年」(アメリカ上院は1990年に2000年までの10年間を指定し、脳の
[1086]絶対基準がある訳ではない。相対性が基準であり、しかも(相対)差が小さい「相対性」
[1089]人が望んでいるのは、「楽園」に出会うことであり。しかも、去ってしまわない楽園で
[1090]ある。望んでいるのは、最後に楽園に出会うことなのだ。
[1092]現代では、鍛えてくれるものは数多くある。今日の学校に求められているのは、「知性」
[1093]であり。鍛えてもらう事ではない。
[1101]ビジョンとは、非現実・否現実を「創像」することで、現実に対する「対抗」の意識を
[1103]イマジネーションとは、未確認・未現実な「仮想」で、現実に「同調」する意識を含ん
[1105]ビジョンとイマジネーションは共に、現実という一つの回転板の端の対極に力点を持つ
[1106]偶力である。両者は、理想と現実への絶え間ない関心となって現れる。 文研重要テーマ。
[1155]家(事前に)の中で出来ることは、家(事前に)の中でやっておくように。
[1164]「(相手の)欲しい」ものと「(自分が)あげたい」ものが、違うときは、「せつない」。
[1166]「問題」は解かれるのを待っているし、「揉め事」は調整されるのを待っている。「悩み
[1167]ごと」は整理されるのを待っている。
[1169]日本は、もう「一枚岩」ではない。
[1174]真実とは、「そうとしか思えない。そうでなければ辻妻が合わない。」ことである。
[1177]不思議」(クラリオンソフト¥3900.41分)。複雑な形態の基本は、6パターン=球
[1180]総力戦では、参加できる全員が関われるだけの種類と数の役割(場)を準備しなければ
[1191]証明されたか否かは、判断する側の信条にかかっている。
[1197]くる。が、真実は故意に登場人物と解説との登場の順を入れ替えることによって、番組が
[1200]視界全領域に均等に注意が届いた把握は、「像(イメージ)」をむすばない。空間像(象=
[1201]しょう)が把握されるのであり。一方、「イメージ」は抽出され特徴づけられた写実(像)
[1202]なのだ。視界に頼る(目の見える)集団はアリストテレス的傾向があるだろうし、心象に
[1203]頼る集団はプラトン的傾向があるだろう。(cf.「象」とは、「距離と方向(角)」(空間)
[1204]であり。「像」とは、「(光と)線分と面積」(閉じられた空間(閉鎖した象)である。)
[1207]一番外側にあって外界に接する知覚とは言葉を持たない記憶である。知覚ゲートの内側に
[1208]入ると、そこは主要な「材」だけでできあがったイメージの領域で、観念とか感情の空間
[1209]がある(発声とか、これではないという手触りetcあとでは再現できない認識)。さらに
[1211]瞬時に視野内の全てを見ている訳ではない。(共感なシーン/異和なシーン/異和な組合
[1212]せ)。神経は、念じるとか考えるとかして回路(として閉鎖)すると記憶となる。
[1214]記憶とは、「バリエーション」であり。学習とは、「照合」である。そしてこの両者は、
[1217]大きさをもつ生命(単細胞でない生命体)においては、「知覚」と「認識」は同一では
[1227]噂という魚は、ヒレが大きくなる程よく泳ぐ。
[1232]20世紀の先進国の多くの人が云うだろう。「私の人生は買物の歴史であった」と。
[1237]西田幾多郎「善の研究」(意識に於いては凡てが性質的であって...)。
[1239]思考するとは、「時間する」(固有の時間)という事である。急ぐ(急がせる)ということ
[1240]は、(個人の)時間に対して「何の(どんな)意味もない」。
[1242]偶然とは、計算結果/予定とは「ズレ」たところで起きる現象。
[1244]人は、「全人格」的に理解したいし理解されたいのだ。
[1246]考えは、考えている(再考)している最中(瞬間)でも「原型」がくずれて(いる訳では
[1247]ない)ることはない。
[1251]者の論文集である。思考と芸術との間で綱渡り。ジジェクの言っていることはとても正気
[1252]ではない。「ツインピークス」のデヴィッド・リンチを論じながら、ラファエル前派の絵画、ワ
[1255]をごちゃまぜにしてほんの数ページのうちに引用してしまう精神というものは、何か。唐
[1257]る爽快な魅力を発散していることは否定しがたいのだ。意表をついた固有名士の取り合わ
[1265]活用できない知識は、情報ではない。
[1270]は、「言葉を持たない記憶」である。
[1275]黒沢明監督の「羅生門」の原作は芥川龍之介(明治25年3月1日東京京橋生まれ。辰年
[1280]さがる、その意外性が滑稽である)。もしこの笑いが厳粛な人生の深刻さに戻るときは芸
[1281]術となり。滑稽のまま終わるのであればその笑いは懲罰(馬鹿にする)となる。人々は他
[1288]「不足」は、他の何かの代用では解決しない。結局手に入れるまでは不足は解決しない。
[1289]国分康孝著「自己発見の心理学」(人間の悩みと言うものは、ある出来事そのものが原因
[1290]ではなく、その出来事をどう受け止めるかが原因である。従って、受取方を蛙と、悩みも
[1291]変わるものである。その受取り方とは、考えることすなわち哲学を持つことである。
[1295]慣習を守る場(側)と、因習を打破する場(側)によって、「時代」は削り出される。
[1297]選択が広い局面では、するべき行動とかしたい事のイメージが「既存するのではなく」、
[1301]選択肢とは、「自分で準備できる」選択のことである。
[1302]人生上の哲学的問題は、選択肢の多い人生の前半には何が必要かが分からず。何が必要か
[1303]が分かる人生の後半には選択肢が少ないということだ。
[1305]急ぐときは、一部始終を急ぎがちだ。
[1314]「理解とは」知覚技術の「習得」であり。「創造とは」知覚技術の「応用」である。理解
[1317]舞台美術デザインのデッサンは1/40。実際の舞台は40倍。
[1320]17世紀フランス庭園は人工的幾何学模様。18世紀英国は、ゲニウス・ロキ(土地の精
[1324]販売されているものには、土地利用図/土地条件図/湖沼図/海図/航空図/地質図/現
[1325]存植生分類図/人口図。(cf.都市図として利用するには等高線/記号などが増え格段に内
[1332]行う「前」に知る者と/行った「後」知る者、が居る。前者は、前者は、考えるために「時
[1333]間」が足りないというし/後者は行動するために「お金」が足りないと言う。
[1335]ことばは、丸暗記の道具ではない。
[1339]私は毎朝、目覚めた私の人生に向かって笑顔して挨拶する。
[1343]マックス・ウェーバー著「儒教と道教」。(専修大学野村浩一教授評:儒教ではどの様な人
[1345]といえば儒教と連想されるが、民間では広く道教が信仰されている)。
[1347]神戸・ラジオ関西(ここはどこや/ありーの/歩きはる)。
[1355]ミトコンドリアと核。競い合い>補い合い>共有。酸からエネルギーを得る生命(は酸性
[1356]であるミトコンドリア内へ集結)と、そうでない生命(は非酸性である核の内に集結)は、
[1360]知覚とは、脳による追認作業前の時点の「イメージ」(ビジョンかもしれない)である。
[1363]「知覚領域」は、脳からは「想念」でつながっており。知覚からは「感情」でつながっ
[1364]ている。 想念とは、復活した過去の記憶感情であり。感情とは、現時点の起動感情であ
***個人は自分自身を磨くことを決して忘れてはならない。どこにいても、そこで必要な能力以外が育てられることはないのだから。良質な知識を通して自立した個性を実現し、視野の広い情報に接触して深い感性を身につける、「知覚技術」の研究をつづけています。出版と学習援助の研究所 著作権 西尾文化研究所1997設立 The Nishio Cultural-Studies Center Nishio-city,愛知県,JAPAN。***
H20.10.3.
H20.11.17.
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